僕の尊敬してやまない「りょーせんせい」に記事を書いてもらいました。
僕とやり取り始めたときには保育士×副業エンジニアという異色の方で「営業」まで経験された。との事でしたのでぜひ!とオファーしました!
努力を怠らない。礼節をわきまえられている。というかっちょいい大人で僕が尊敬する数少ないアニキですね。
【はじめに】
【自己紹介】
まず始めに、私について少しお話しさせて頂きます。私は SNS 上では「りょーせんせい」という名前で発信しており、2025 年1⽉現在では 38 歳の現役の保育⼠です。とは⾔っても、クラスの担任として⼦どもと直接関わるような業務では無く、園を管理する園⻑としての役職に就いています。世間⼀般的に、園⻑先⽣のイメージと⾔えば 50 代〜60 代くらいの
年代の⽅が担っているような印象だと思います。
⾃分で⾔うのも何ですが、保育業界において、私は出世がかなり早い⽅です。男性ということで、産休や育休といった「ブランク」が無いのも⼀つの理由ではあるとは思いますが、それにしても年齢的にも経験的にも、かなり若い⽅だと思います。
個⼈的に、私が 30 代で園⻑として就任することになったのは、営業職を経験したことも⼤きな要因だったと思っています。この記事では、私が営業の世界に⾶び込むきっかけ、また⾶び込んだ事で学んだ事、仕事において「各業種におけるマインド」さえ⾒極める事が最も重要だという事です。
【私の⽣い⽴ち】
私は⾼校時代を⼯業⾼校で学び過ごしました。機械科を専攻しており、授業では⾃動⾞のエンジンの分解し組み⽴てたり、旋盤と呼ばれる回転した鉄の棒を削る機械の操作を学んだり、溶接を学んだりと、保育⼠になりそうな要素はおろか、営業職に就きそうな要素もまるで無い⻘春時代を送ってきました。
卒業後は「鳶職」と呼ばれる⾜場屋としての職に就きました。同期は勿論、先輩や後輩、監督者である親⽅に⾄ってもとにかくヤンチャな⼈が周りには多く、同業者だけでなく、周りの業者やクライアントもヤンチャな⽅が多い環境で 18 歳から 20 歳までを過ごしてきました。
そんな私がそもそも、何故保育⼠になったのか。18 歳から 20 歳という年齢で、周りの環境もオラついた⼈達が多かった事もあり、「理想の⼤⼈」のイメージもヤンチャで破天荒な⼈物像に憧れを持ち、働いていました。ある⽇、現場での仕事中、組んだ⾜場の上で作業をしていると、「はーい、みんなー、渡るよー♫」との優しい⼝調の男性の⼤きな声(当時はナヨナヨした声といった印象だった)が聞こえてきました。みと⾒ると、旗を持って⼦ども達の前を先導して歩く男性保育⼠さんと、その後ろを⼆⼈ずつ⼿を繋ぎながら歩く 6 ⼈の⼦ども達の姿⽬に映り、幼稚園に朝の登園をするほのぼのとした姿を⽬の当たりにしました。
⼦ども達の前を先導して歩く男性保育⼠さんは 20 代前半くらいで、当時 20 歳になる直前の⾃分より、ほんの少し年上に⾒えました。もう 2〜3 年後には、⾃分もその⼈くらいの歳になるんだと思いながらその光景を⾒ていると、何故か急に危機感を感じた事を今でも鮮明に覚えています。その男性保育⼠さんの⽴ち振る舞いは、当時は「ガテン系=カッコ良い」との私の定義に反していたのですが、凄く魅⼒的に⾒えました。『あんなにも⼈に優しく、⼦ども達に安⼼感を与えられる男性っているんだ…』と当時の私は⼼から感じました。そもそも⾃分は、何故、男としてカッコよくなりたいと思っていたのか…その幼稚な考えを根底から覆されるきっかけになったように思います。
それからの展開はとても早く、丁度その時期は 12 ⽉で、インターネットで調べると 2 ⽉に保育の専⾨学校で⼊学者の 2 次募集をしていました。社会⼈としての経験が 2 年以上ある⼈が受ける社会⼈枠としての試験を受け、無事、保育の専⾨学校への⼊学が決まりました。2 年間の専⾨学⽣⽣活を経て、卒業後は保育⼠として働くようになりました。
僕もドカタ出身なので気持ちわかりみ深い。僕も保育経験あるので、りょーせんせいの気持ちすごいわかる。
【保育⼠としての⼗数年の経験を経て、営業職へ】
前置きが⻑くなりましたが、その後 14 年間、保育園で保育⼠として働きました。保育⼠ 14年⽬となったある⽇、コロナという波が社会全体に押し寄せ、保育業界も⼤きな混乱に陥りました。コロナにより、園児の保護者とのいざこざがあったり、職員との安全管理に対しての意⾒の相違などもあり、勤めていた職場を退職する運びとなりました。
次の職も決まっていない状態で、14 年間働いていた職場を辞めてしまった事もあり、早急に仕事を探していた私は、当然のように、また保育⼠として保育業界で勤めようと考え、いくつかの転職サイトに登録しました。
転職サイトで情報収集していた⽮先、登録していた携帯の電話番号に⼀本の連絡が⼊りました。
電話の相⼿は転職サイトを運営する会社の営業の⽅からでした。「今現在、お仕事をお探しですか?」「どのような条件で探されてますか?」「気になる転職先の候補などはありますか?」など、様々な質問をされました。⾊々と受け答えをしたていたのですが、電話越しの転職サイトの⽅は常に私の気持ちや考えに寄り添って下さり、私の次の就職先についても親⾝になって相談に乗ってくれていました(そういう仕事なのはさて置き)。
あまりにも親⾝になってくれる転職サイトの⽅に、私はある質問をしました。「あなたの仕事はどのような仕事ですか?」その問いに対しすぐに「オッ!ご興味がおありですか?」と⾷い気味になったのを感じました。その後、仕事内容についてとても細かく教えて下さり、その時初めて『キャリアアドバイザー』という仕事を知ると共に、この仕事に貢献出来れば、
保育業界の保育⼠不⾜という問題にも貢献出来るのでは無いかと考え始めるようになりました。営業の⽅の計らいで、上司に繋いでもらい、その会社で⾯接を受ける事となりました。⼤⼿の転職会社だった事もあってか、オンラインでの⾯接が 4 次試験までありました。各⾯接を無事通過し(営業の⽅からアドバイスまで貰い、⾄れり尽くせりでした)、晴れてキャリアアドバイザーとして、転職サイトの営業マンになったのです。
【営業マンになってみたものの…】
14 年間勤めていた保育園を退職してから、2 週間も経たず次の転職先が決まり、その 2 週間後に⼊社する流れとなっていました。私は初めての営業職、キャリアアドバイザーといった仕事に胸を躍らせ、⼊社までの 2 週間は朝から晩までとにかくありとあらゆる情報を得ようとパソコンで調べまわっていました。
1⽇何時間も、営業電話の掛け⽅の動画を⾒ながら、⾒よう⾒まねで真似たり、キャリアアドバイザーの仕事内容を調べ尽くしていました。しかし、いざ⼊社してからは何もかもが上⼿くいかず、⽇々上司から指導される毎⽇。保育⼠として培ってきた経験から、コミュニケーション能⼒だけは⼈⼀倍⾃信があったにも関わらず、営業電話を掛けても窓⼝カットの連続。話すらまともに聞いてもらえず、売り上げをあげる所か、お荷物状態。売り上げをあげている先輩⽅の電話営業での⼝調を真似したり、電話を掛けるタイミングや仕事の仕⽅を真似しても、何⼀つ上⼿くいかない。B to B も B to C もまるでダメ。
仕事が終わってから帰る電⾞の中で、⼈⽬も気にせず毎晩⼤号泣しながら帰路についていました。
そんな私の姿を⾒かねた上司がある⾔葉を投げかけてくれました。「貴⽅はプライドが⾼過ぎる。保育⼠として⼗数年、“先⽣”と呼ばれ慕われていた⾃分をまるで捨てきれていない。営業マンなら営業マンとしてのマインドを⾝に付けなさい。⼩⼿先のスキルを⾝に付ける事ばかりに囚われ過ぎです。仕事においてマインドが全てです」と。
その⾔葉を受け、周りにいる先輩達⼀⼈ひとりに「どんなマインドで仕事と向き合っているか」を質問していきました。その中で、個⼈的に⼤好きな話が⼀つあって、ある先輩の話で「この仕事って転職サイトに登録した求職者の⼈に電話を掛けて営業したり、求職者の受け⼊れ先を探すために企業や施設に電話をしたりするじゃん?その度に、嫌味⾔われたり罵声を浴びせられたりする事もあるじゃん?最初の頃はその⾔葉に傷付きすぎて過ぎて、仕事⾏くのがしんどくて…ここだけの話…毎朝出勤する前に、テキーラ飲んで出勤してたんだよねー。笑」との話が個⼈的には最⾼に好きでした。
めちゃくちゃおもろいし、営業ならではの破天荒エピソードだなぁ。こういうの大好物です。もっとくれ
またある先輩は「マインド?断られる事を前提に営業を掛けちゃダメだよ!求職者に対しても、企業に対しても、エッ?こんないい話があるのに聞かないの?勿体無いねぇー。くらいに思っていつも営業してるよ」など、売り上げを上げている⼈ほど、強気な姿勢の⼈が多かったです。
そこから、⾃分にとっての営業マインドとは何だろうと考え始めるようになったのが、⼊社 3 ヶ⽉を過ぎた頃でした。
【マインドを捉え、⾝に付ける事で結果は変わる】
⾃分の⼈⽣を振り返った時、鳶職の時代はオラオラしてました。外⾒の話では無く、気持ち的のもオラついていたように思います。しかし、保育⼠になった頃には、⼦どもと同じ⽬線で話せるようにと、柔らかい表情と柔らかな⼝調で話せるように⼼掛けていました。営業職になり、⾃分がやっている仕事内容への⾃信を常に持てるようにと⼼掛けた途端、営業成績も伸び始めました。
当時、転職サイトを運営する会社の従業員数は全国に 7000〜7500 ⼈程度おり、その中でも「福祉関系」への転職者や施設への営業を担当していたのが 3000 ⼈程おり、私もその部署にいました。社内では毎⽉⽉間売り上げランキングが発表されていたのですが、⼊社1年以内の営業担当による「新⼈ランキング」といったものも発表されたりしていました。私は⼊社半年で、⽉間の新⼈売り上げランキングが『9 位/約 500 ⼈中』と、TOP 10 に⼊れるくらいになっていました。⽉の売り上げは約 200 万円くらいでした。
マインドを捉える事が出来れば、どんな仕事も通⽤すると実感した時、私は「今、保育⼠に戻ったらどんな世界が⾒えるんだろう…」と考え始めるようになりました。結果が出始め、仕事が⾯⽩くなってきた頃ではありましたが、私は僅か半年で営業職を退職することに決めました。
【保育⼠から営業職。そしてまた、保育⼠へ…】
福祉という業界でのキャリアアドバイザーをしていたこともあり、前からとある職場がとても気になっていました。それは、社会福祉法⼈という形態では珍しく、運営施設が約 30施設もあり、従業員数 300 ⼈超える程、福祉業界ではとても⼤きな法⼈でした。
14 年働いた保育園とは⽐べ物にならない規模の法⼈。そんな所で⾃分を試してみたいと⼼から思うようになりました。保育⼠に戻ってからというものの、マインドへの⾒極めを意識するようになったことで、保育業界復帰後 1 年で主任に就任し、その 1 年後には園⻑に就任。
⼊社 3年⽬で施設の⻑として、38 歳で就任しました。この記事を通して私が伝えたかった事は「⼈⽣において、マインドの⾒極めこそ最重要課題である」という事を⾝を持って学んだ営業経験でした。
りょーせんせい、濃密な記事ありがとうございました。まず属性として保育士×エンジニア×営業のパラレルが存在できているのがすごい。僕も追いつけるように頑張ります。
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